鯖色

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一番強い光は太陽 二番目はアニメ

日が昇ると意識が遠のく。意識が遠のけば遠のくほど太陽はますます光を強くして高く昇る。微かな意識でも確かに認識できるほど太陽は明るく高く暑かった。「ああ。これならきっとまだ暫くは明るい筈だ。きっと次に起きたときも……」そのことに安らぎを覚え意識は途絶える。そして寝苦しい夢から逃げのびたかと思って顔をあげると窓の外は既に暗い。一日の始まりだ。

光がなければ物は見えない。なので夜に忙しく活動する人間として灯りは欠かせない。俺は部屋の灯りを点ける。枕元の眼鏡、ベッドから落ちた布団、溢れかけのゴミ箱、机の上のパソコン、本棚の中の漫画や文庫本や単行本。いつも通りの部屋、いつも通りの現実だ。そんな何の面白味もない部屋を見渡していてもしょうがないので俺は気を紛らすためにアニメを見る。そう、太陽の次に明るい光、アニメ。

アニメーションの語源は霊魂を意味するアニマというラテン語らしい。ウィキペディアには更にこんなことも書いてある。「生命のない動かないものに命を与えて動かすことを意味する[3]。」と。確かにその通りだ。そして俺なりに注釈を加えるなら「生命のない動かないもの」とは「気力のない鬱病患者オタク」のことである。中には「命を与えられ」ずに動かないものも居るが、少なくとも俺の魂は動いているのでよしとする。

「エンゲージ・キス」を見た。素晴らしいアニメだ。いや、これだけ心躍るアニメーションはアニマと呼ぶべきかもしれない。第02話までのヘンテコメンヘラ日常展開が好きだったものとしては、あの終わり方は正に「未解決で大団円」という第13話タイトル通りのもので嬉しかった。これほど現実ではありえないアニマ的リアリズムを貫いてくれた制作陣には感謝しかない。だから良いアニメを見るといつも、最終的には「ありがとう」しか言えなくなる。

現実は一個しかなく、あまりに強固で残酷だ。太陽の光が照らし出すのはそういう物語のないクソみたいな世界だ。対してアニメは幾つもあり、その一つ一つに思いが詰まっているし、物によっては感動するくらい面白い。虚構と言うと現実逃避みたいだが、みんな最終的には各々の虚構の方へひた走っていくべきだ。こんな現実はいつか消えるべきだ。

とはいえ、親しい友達に出会ったのも愛しいあの人に出会ったのもこの現実だ。それに今暫くは現実がなくなることはなさそうだし、それまではなんとかやっていくしかない。自分で小説を書いて、それで認められるようになりたい。いずれ、読んだ後にこのクソな現実が少しでもマシに思えるような小説を書きたい。

アニメを見るとたまにそういう熱い気持ちを思い出させてくれる。一時は自殺だけが強い光を放っていて他のすべてを見えなくしていたが今は違う。その状態もいつ崩れるか分からないが、少なくとも今は違う。幾つもある道の先を示し導く光がある。あとは自分がやるしかない。精進しかない。

これはまたいつ鈍るとも分からない直観だが、今悟った。俺たちは一人一人が太陽=恩寵=アニメ=霊魂=物語=光なんだ。その時ふと、何に対してかも分からない「ありがとう」の気持ちが溢れて来て、歓喜の涙に打ち震えそうになった。光なんだ、すべてが。ありがとう。俺は感動しながら自分の状態を察知し、頓服を飲んだ。そのことももう、他と代えがたいほど光だった。