僅かに梅酒が入った紙コップへ慎重にコーラを注ぎながら、佐波先生は思ったのでした。この反省を抱えた今の状態で過去に戻れば、きっと上手く行くんじゃないか、と。佐波先生は正に先生と呼ぶのが相応しい極めて見識豊かなお方ですから、本人である私までもがこうして敬ってしまう程の人物であるとはいえ、これは未だかつてない発見に思われました。
──先生、その通りですよ、そうに違いありません。是非とも戻りましょう! 私はそう口にしたくなりましたが、私であるところの佐波先生が狂人と思われるのを憚って、梅酒のコーラ割りとともに飲み下すことにしました。甘過ぎます。
周りでは、友人知人らが文学フリマに向けて何々をやってるだとか、何処そこへ旅行へ行っただとか、或いはこの唐揚げ美味しいねなどと冴えない話をしている中、こんなにも素晴らしい発想に至り、身を打ち震わしているのは佐波先生ただ一人でした。何故なら、佐波先生は誰とも話していなかったからです。
しかし、一応その場の空気感を共にしてはいましたし、殆ど輪に入っているようなものでした。たまに自分にも分かる話題の会話が聞こえてきて、その会話に参加こそしませんでしたが、聞いているで充分に満足でした。いや、程々に、そこそこに……まあ、充分ではあったわけです。
それに我らが佐波先生は周りの方々は気付いていないことに気付いています。そう、《過去に戻れさえすればすべてが上手く行く》ということにです。このことを思っただけで佐波先生は泣きそうでした。というか既に若干涙ぐんでいました。それもその筈です、これまでの苦労がまさかこんなにもあっさりと報われて、別離の悲しみは再会の喜びと変わり、未来永劫幸せでいられるばかりか、長いこと抜け出ることの叶わなかった鬱の渦からさえも解放されるのです。
私たちは二人、抱き合いました。そして、やがては彼の女性と私と佐波先生の三人で抱き合うことになるわけです。それは宛らホドロフスキー監督の自伝的映画「エンドレス・ポエトリー」で、自分の父親と過去の自分と未来の自分との三人で抱き合っているシーンを想起させます。
佐波先生はこれまでの長く苦に満ちた道のりを思い返し、途方に暮れ、仰向けになっていました。それはお酒に弱い佐波先生があっという間に酔いつぶれてしまっただけなのかもしれません。とはいえ、この酩酊が自らの抱えて来た時間の重さによるもであれ、単にアルコールによるものであれ、幸福なことには違いありませんでした。というのも、過去について考えることは未来について考えるよりも遥かに楽しく、その時の佐波先生の頭の中には最早過去のことしかなかったからです。過去の中に居るとさえ言って良いと思います。
◆
「また、会えて嬉しいです」
「佐波君は元気だった?」
「はい…………」
「そう、良かったね。私もそれなりに元気だったよ」
「ええ、僕もそれなりにです」
「こうやって会えるんだね」
「会えるみたいです」
「良かった」
「良かった」
そういうことを言い交わしながら佐波先生は彼の女性と手を繋ぎ、それが初めての彼の女性と手を繋ぐ経験であるにも拘わらず、とても懐かしい夢心地になっていました。それに止めどなく涙が溢れます。幸福と安堵が同時に臨界点を迎え、感情は決壊していましたがそれさえも懐かしく夢心地でした。
「また会えて嬉しい?」「はい、元気です」「泣きそう」「もう泣いてますよ」「そこそこ泣いてる」「会えて良かった」「また会えて良かった」「泣かないで」「泣いてません」「でも良かった」「全部良かった」「嬉しい」「幸せ」「ずっとここにいたい」「ずっとここにいよう」「うん」
そういうことを言い交わしながら、確かな手の感触に感動している佐波先生は私です。私である佐波先生は確かに感動していました。
◆
目覚めると目元には一滴の涙もなく、そのことが不思議でした。どうやら起こされたようです。
「そろそろみんな帰るよ」
「ああ、はい」
次第に明瞭になっていく意識とは反対に夜は真っ暗で意味が分かりませんでした。意味不明な夜の道をなんで自分が歩いているのか、なんで隣には彼の女性がいないのか、しかもそのことを平気で受け入れたみたいに電車に乗って帰っているのか、何から何まで皆目理解できず泣き出しそうでしたが、実際にはただ黙っているだけでした。電車の中でも、帰り道でも、一人なら黙っているのが普通です。でも、なんで私は一人なんですか?
私は黙って家に帰り着き、全部が夢想だったと結論付けました。その始まりも、その流れも、その終わり方も、まったくもって夢想の始まり方であり、夢想の流れ方であり、夢想の終わり方でした。
しかしそれでも、居たんです。あったんです。絶対に居たしあったし、それは間違いじゃありません。だからまた行けます。またお酒でもなんでも飲みます。絶対に戻れます。大体、お酒を飲み始めたキッカケだってその人と通話しながら飲んだからです。だから行けるんです。行けるようになるんです。
ほら、今濡れた机の上を紙コップが手前に滑ってきました。これだって、彼の女性が私との再会を待ちわびている、他ならない証拠じゃないですか。もういない、彼の女性が、私に飲酒を勧めてるんですよ。思えば、彼の女性は私が酒に苦しんでいるのが好きでした。私を試しているというのなら、受けて立ちます。
こうやって興奮したり絶望したりしているのもすべて彼の女性への愛と思うと愛おしい。
「ちょっと家に彼氏来るからどっか出てて」
「ああ、うん」
このように妹に追い出されもしますが、まあ平気です。何故なら《過去に戻れさえすればすべてが上手く行く》からです。次は、もっと上手くやります。また会えると思ったら、元気が出てきました。
私……いや佐波先生でした。佐波先生はこうして川沿いを歩いています。コーラのペットボトルに少し梅酒を注いだものを片手に持っています。夜です。暗いです。でも、意味不明じゃないです。段々分かってきました。色んなことの意味が分かってきて、また苦労が報われるとそう思いながらお酒を飲んでいます。
やっぱり甘すぎな気がします。でもそういうことにも全部意味があり、「全部良かった」となる時がきます。だから、歩いている隣で異常な量の水が流れているのも、その水の向きとは逆に歩いているのも、カーブミラーの上に烏が止まっているのも、全部意味があります。全部が、繋がっています。繋がっていること自体がもう、泣きそうなくらい幸福なことなんです。