鯖色

鯖のブログです。

鬱病の 症状みたいな 文章だ

「全員ぶっ〇してやる!」と思いながら、ベッドで横になったまま動けないという経験は誰しも一度はあるのではないだろうか。下手をしたら一度どころか毎日そうなっているという人もいるかもしれない。実を言うと私も今朝二時半くらいに起きて「〇ね!ぶっ〇してやる、このク〇ガキども!」と口の中でもごもごしながら意識をはっきりとさせていったからよく分かる。因みに何故そんな罵詈雑言を吐こうとしていたのかというと、確か家を出て図書館に本を返しに行くイメトレをしていたら、道中で自転車に乗った小学生が猛スピードで抜かしてきたからだった。しかもその小学生は車が通っていないとはいえ赤信号も平気で渡るような奴だから当然俺のような同級生からは嫌われているものの、それが却って男らしいということになってすべての女にモテているのだった。今思い返しただけでも腹立たしいが、世の中にはそういう悪の権化のやつがごまんといて、どいつもこいつも俺の空想の中に登場して俺を迫害してくるから許せない。

つまり、私は何も間違っていないのだが、こういう空想ばかりしていると現実世界の出来事に対応出来ないのも事実である。私は眠りを覚ますように自分の太腿を二三度殴る。鬱病の所為か無気力だといきなり全身を動かすのは難しいので、まずは指先だけ動かして段々と可動域を広げていくのがオススメだが、指先ばかり動かしていると、「俺以外の全人類はヴァギナに指を突っ込んでお楽しみ中だってのに、なんで俺の指は空を切るだけなんだ!」という思いに駆られる可能性がある。しかしながら、蘆の角が何もない空間を切って物や世界や思想が現じ始めたように、一先ず空を切るところからしか始めようがないしそれでいい。怒りのままにさっさと自身の体の一部を殴ったり蹴ったりすれば、怒りは増幅し充分なだけのエネルギーを蓄えられる。実際にするかどうかはともかく、それでこそ本当にぶっ〇すことが出来るようになる。

自分は何も出来ないと思ってしまいがちだが、案外何でも出来るものだ。周りの目を気にしてやっていなかったことをやるだけで自信はついてくる。過剰なくらい腕をふって歩き、電車では迷惑にならない程度に独り言を言い、俯きながらでもファイティングポーズをとって空を殴りながら図書館へ向かう。大丈夫そうな野草を少し齧ってみたり、歩道と車道の間の段差に乗ってみるのも良いかもしれない。所謂奇行と言われそうなことも、やってみると案外楽しいものです。そうやって目の前の出来ることを増やしていくことでしか、自信をつける方法はありません。空想上の小学生に本気で怒れるのは、それくらいギリギリ限界のところにいる証拠だと思いませんか。誰に話してるんですか。

「均衡と循環こそが善だと思うので、誰が誰を打ったとかに一々気を煩わされる必要はないけど、なんか倫理とかがある所為でそれが見えにくくなってると思いませんか。どこにも行かない暴力とか信念の潰し合いだと開き直ると、全部の私怨が正当化される感じがしませんか。あと自分、王殺しと神殺しにしか興味ありません」みたいな顔で街中を歩いている女の子のことを想像したら、どうせこいつも俺と恋人になったりセックスしてくれたりはしないんだろ、ということでぶん殴りそうになってしまったけど、存在しないから事なきを得た。無敵の人かどうかは分からないが、怒るべきときに怒って殴るべきときにちゃんと殴れるようになりたいと思う。逆にそのときまでは静穏に暮らしたい。

静穏な日々の中では、朝に鰊の干物や豆腐の味噌汁と一緒に白米を食べ、昼まで部屋で本を読む。初夏なら家の中の一番涼しい風の立つ場所を探し、晩秋なら散歩がてら土筆でも探しに行きたい。親が死に妹が何処かに嫁ぎに行っても、私はこの家に居るのだろうか。不安を素通りしつつアニメを見、ゲームをし、たまに泣き喚く。それが終わったら処方箋を煎茶か何かで流し込み、眠る。そして、時がくればいつでも怒りを沸点まで持っていけるようにしておくことだ。悲しみながら怒り、怒りながら悲しんでいるのはいつものことだが、肝心の時に怯んでいてはならない。時が来なければそのまま死んでしまうのだろうが、それが一番恐ろしい。

後になって「あの頃は病でおかしくなっていた」とかは間違っても言いたくない。今が本当に苦しいし、私は間違ってないし、私以外全てが間違っているのだから、それ自体がどうにもならないにしても、何の疑義申し立ても出来ないまま死んでいくのは不服だ。だが、どうにもならない。こういうことを考えていると怒りのガスが心に満ちてくる。着火するもしないも私次第だが、段々とまた無力感に苛まれてくる。ベッドの上でまた「全員ぶっ〇してやる!」と思いながら、体が動かない感じになってきた。どうせいつでもやれるんだし、今は何もしないでいよう。何もしたくないし、何も出来ない……。