私は日が昇る前に公園に行き、そこで一番高い木に鋼鉄のロープを結わえつけて、全身にガソリンをかけて、睡眠薬を大量に飲んでから、マッチを擦って全身に着火し、慌てて首を吊った。死んでいる私を、日が昇ってから見つけるであろう通行人には申し訳ないが、こうでもしないことには不安で仕方なく、また不安に耐え絶望に耐えて毎日生き抜くことも不可能に思えた。意識は体から遠ざかって、木の下に溜まっていった。少しずつ溶けた意識が、ぶら下がっている木の下の方に溜まっていると、意識は意識していた。でも、段々論理的に考えれば火で燃えて空気中に消えるんじゃないかと思った頃には、空気中に霧散して、その一部に自分がなっているつもりだった。目がなかった、視野がないが、薄ぼんやりと知覚できる世界は、静かで、後ろから、音がした。
──俺は、死んだのか。
──俺は、死んでないよ。
──そうか、死ねなかったのか。
──お前が飲んだ睡眠薬は致死量には遠く及ばなかったし、お前が全身にかけたのはガソリンではなく灯油で、それも火は早々に消えてしまっていた。首は吊れていたが、それも家にいないのを不審がったお前の親が見つけて、助け出した。
──ああ、大変な迷惑をかけたなあ。
──だが、お前はもう余程死にたいということだろうから、後日改まって殺されるかもしれない。
──殺されるのか、そうか。
──嫌か。
──嫌には違いないが、そうと言える筋合いはないから、殺されても仕方ない。
──今は病院だが、意識だけが分裂してしまっているお前をどうにか、どこかへ飛ばせないものか。
──そんなことは叶わなんだろう。
──そうかもな。
「お名前と今何日か分かりますか?」
「左馬二郎、何日かは分かりませんが八月です」
「はい、分かりました。では、暫く安静にしていてくださいね」
「あの」
「なんですか」
「僕は死ぬんでしょうか」
「まだ確かなことは言えませんが、山場は過ぎたと思います」
「そうですか、ありがとうございます」
私は安らかだった。病的の静かで明るい空気と医師や看護師の配慮された対応のために、私は安らかな気持ちで数日を過ごせた。身体の調子はところどころ悪く、感情にも波があったが、概ね安らかで、常に交響楽に身を委ねているようだった。願わくば永遠にここで暮らしていたかった。段々と歩けるようになってしまうので、それが悲しかった。私の体は回復していた。回復することによって、私は元の世界に組み込まれ直された。死とセックスの世界だ。少なくとも、私にはそう見える世界だ。手元にペンと紙があったから、それに色々とメモ書きをした気がする。元は数独のための紙で、看護師に頼んで得たその紙は、私は数独は苦手なので、数独には使われなかったその紙は、裏返されてメモ書きに使われた。メモ書きはこうだ。「コーヒーのミルク、フレッシュと言ったかもしれない、それを垂らすみたいに、意識と時間は流れる」それからこうだ。「幼い頃に自分がこうなっているのを見たら、なんと言ったろう、なんと声をかけたろう。私は幼い私と話しがしたかった。幼い頃の私しか相応しい話し相手はいないように思える。」そして、「この世界の象徴としての女に抱擁されて、安らかに首を折れれば」だ。
──あなたは何を考えているの。
──僕は死とセックスのことを、女と言葉のことを、世界と男性器のことを考えているんだよ。
──なんで?
──意味はないさ。
──なんで意味はないの?
──僕は卑怯な方法を、つまり子供の面倒な質問を躱すために話題を逸らすという方法をとるけど、僕はどう見える?
──痛そう。
──なんでかな?
──首にプラスチックついてるし、手に包帯ついてるから。
──それと、顔から赤い傷が見えるからかな。
──そう。で、なんで意味ないの?
──いいね。意味はなくてもいいと思ったからね。結局、永遠に不利な戦いを強いられるてるのに、意味とか言ってられないんだよ。
──戦ってないじゃん。
──戦ってるよ。君とかを守るために。君とかを僕みたいなのから守るために。
──ふーん。もう帰る。
──ああそう、さよなら。
「お前は俺とセックスをしなければならないよ」
「嫌」
「美しい目だ」
「見ないでください」
「本当に美しいよ、君は。絶滅危惧種のトカゲみたいな白い肌だね」
「やめてください」
「セックスをしよう、俺と。それが世界のためだ、お互いのためにもなる」
「私のためになんかならなくていいです、世界のためなんて尚更です。私はあなたを拒絶しています。それ以上近寄るなら、殺します」
「そうか。死そのものであるところ男性器を振り払おうとはね。最近の子は進んでるのかな」
「今近づきましたね?」
「いや、そんな」
「さようなら。お前は既に私の女性器の圏内に踏み込みました。押し潰れなさい」
「あっ」