鯖色

はい。

回復への試み

とても寂しい夜が来た

 とても寂しい夜だ。

 僕はどうしようもなく僕だ、ということを思わされる。つまり、動かしがたい現実の事実として、僕は鬱病非モテで無職のいいとこなしなのだ、ということを。

 そんなことを何度繰り返し言ったって何も変わらないだろ、というようなことを言う人もいるかもしれないが、そんなことを言おうが言わまいが関係ないのは分かってるんです。

 ただ、苦しくて仕方ないから苦しいって叫ぶし、助けを求めてしまうんだ。勿論、そんな状態のまま抜け出せない人間は弱いんだけど。

 いや、実際に、本質的にどうかなんてことを誰も気にはしていない。ただ、弱いというレッテルを貼られ、また自分もそれを自嘲的に語る他ないのだ。

 とても悲しい夜だ。このままきっととても悲しい朝を迎えて、昼を寝て過ごし、また夜がやってくる。その繰り返し。ワンパターン。

 こんなのっぺりした、みすぼらしい人生、といって悪ければ生活を送ることになったのは、何が悪いんだろう。

 一つには鬱があり、また大学をやめて働かず無職なことがあり、そして非モテで、それを気にしてるということがあるのかもしれない。

 しかし、それらはどこかからともなくやってきて、僕に永久にへばりついこうとしているようなものだから、あまり原因はわからない。

 結果のことを考えよう。結果というか、状況と言った方が正しいかもしれない。誰が望んだわけでもない、ただの状況。

 状況分析を試みるも、僕の現実の状況は、様々な要因が複雑に絡み合ったものだとしか分からない、それ以上は言えない。

 他のどの現実の状況とも同じように、ただそこにあるものを見ろ、以上。とパソコンがエラーを吐き出すかのように僕は思考を放棄した。

 そうだ寂しい夜は女性と通話して気を紛らわすことにしよう、そう思って連絡するも返信は来ない。夜も夜の深夜だから。

 他の人に連絡すると、彼氏と通話していると返信が来る。あーはいはいなるほどね、オーケーオーケー、分かったよ。

 全部これだ。この繰り返し。コピー&ペースト。様々な声が反響しては消えていく毎日、生活、人生。

 

インセル

 綱渡りをするようにして、僕は生きているつもりになっている。僕はそう思っている。息継ぎをするようになんとか生きている、それで精一杯、多分。

 でも外から見るとそうではない筈。僕は横たわって自らのペニスを扱いているだけだ。そして、陳腐で意味のない愛の文字列フリックしては、鬱を悪化させているだけだ。

 女オタクのオタク、女オタオタとして身から溢れんばかりの愛を抱えていたつもりかが、いつの間にかインセルになっていた。

 ミソジニストとか似た意味で使っているから、あまり正確な定義は分からない。女を嫌い、女を憎悪し、女に殺意を抱く、それが僕だ。

 ただし、僕が嫌い、憎悪し、殺意を抱くの女だけではない。女と恋愛関係にある男とか、僕を馬鹿にするやつらとか、とにかく気に入らないものは、一杯あるんだ。

 でも、これってもとはそうじゃなかった。きっと最初はもっとシンプルに鈍感に考えていたことなんだ。どこか遠くのことのよう眺めていて、それがいつからか歪な形に……っていうのは少し自己憐憫に耽り過ぎだ。

 究極のインセルになって女を殺すか、普通に鬱で自殺するか。世界は変えられないんだから、そうするしかないような気がする。

 硬く握りしめ続けた拳はもう開けないのだろうか。インセルとして女を殺せば、少しは人生に釣り合いが取れるだろうか。

 つまり、これだけひどい目にあって苦しいのだから、嫌なやつに一矢報いるくらいはできた、と思えるだろうか。

 ここに来て立ち止まる。

 それでも女性は美しい。しかし僕の方を振り向いてはくれない。それでも女性を愛したい。しかし僕の愛を受け入れてはくれない。それでも遠くで祈りを捧げ続けるべきなんじゃないか。しかし……

 

人間を捨てよ!

 尊敬できるその道のフォロワーと話すと、少し盲が啓かれた感じがあった。

 その一、死んではならない。何故なら死んだら小説を読めず、書けないため。手を動かし続けて小説と向き合おう。それはきっと楽しいことの筈だから。

 その二、インセルになってはいけない。愛されることはないのだから、あまり人間に期待せず、憎悪を抱かないようにしよう。女フォロワーはかわいいし、何がその周りを取り巻いていようとも、それは変わらない筈だから。

 その三、人間をやめなければならない。人間関係に冷淡になって、小説に打ち込め。さもなくば俺は死す。いいな。

 と、まあこれは僕の感じたことであって、直接言われたこととは多かれ少なかれ違って僕脚色が入っているが、まあ、そういうことを感じ、思った。

 しかし、そこまで振り切れられるだろうか? いざ色んなものを捨てて小説に打ち込もうとしても、そこで女性が現れ、また消えたら、もうどうにもならない気がする。

 そこで生まれるであろう解けないような蟠りをなかったことに出来るだろうか。

 異性愛規範を壊したいとかではなく、むしろそれにドップリなだけに苦しんでばかりいる。しかし、死んだら生まれる筈だった小説は生まれない。それは悲しい。

 どんなにつまらない小説でも、書かないよりはいい。では、どんなにつまらない生でも死ぬよりはいいのだろうか。答えは考えないでおくけれど。

 鬱と距離を取り、人間の感情ともなるべく距離を取り、あまり感情的にならずにストイックに小説を書きたい、理想としては。

 得意不得意はさておき、自分は小説に合っているのかも知れない、と思う。思うことにする。他に好きなことは、気心の許せる人とのお喋りと食事、睡眠、オナニー、Twitter

 小説はきっと健康にいい。祈りくらいの意味はある。自己療養へのささやかな試みではある。

 

日はまた昇る

 夜が明けたが、これは明けない夜はない、ということを意味しない。これは、日はまた昇るということを意味する。

 私は世界だから分かる。世界は私だから分かる。

 すべてのことに意味があるわとは思わないが、意味のあることもある。この世界は一人の人間の中身で、それは一人一人の人間の中身で、その一人は私だ。

 自殺行為の一環として、カフェイン剤を大量に服用してから、川に飛び込んで岸辺で憔悴していたとき、長い長い夜だった。

 その時、死ぬんだと思って、川の向こう岸が、彼岸が見えた。夜だから水の重たいうねりがあった。

 僕はタスケテーとかダレカーとかキュウキュウシャーなどとぼやぼやうめき続けていた。やがて誰か助けを呼んで救急車が来た。もう朝だった。

 酷薄なまでに日はまた昇る。この世界は変わらないし、どうにもならない。

 あ一応言っておくと、これは別に、小説を読んだら鬱が治るとか死ぬのを止められるとか、当然そんなことを言いたいのではない。

 僕がたまたま小説の読み書きが好きで、それを再認識させてくれる友人がいたから、まだ生きているだけで、他の人は知らない。死んだ方が楽な場合はあるだろうし、悲しいけど悲しいだけだ。

 死んだ方がいいことはある。死は怖いけど。

 まだインセルでもあるし、全然人間でもあるけれど、早く解脱したい。解脱が無理だとしてもそちらへ行こうとし続けるしかない。

 以上。